さざれごと

もしかしたら誰かが見るかも、という微かな緊張感をもって綴る日常の滓や澱

地域日本語教室ボランティア雑記170520

地域日本語教室でボランティア活動みたいなことをしておりまして。

 

最近、日本語を勉強してみたい人が増えているように思います。

ボランティアとして教えてみたい人も多くなりました。

結構なことですね。うんうん。

 

今日はなかなか愉快な人が来ました。

お父さんを連れてきたという中国の女性。新米ママ。ご主人が日本人。

お子さんを出産したばかりで、その子守りのためにご両親を呼び寄せたそうです。

 

でもお父さんもお母さんも日本語ができない。外に行く機会もない。

日本語を学びがてら日本社会との関わりが少しでもできればいいな、と。

 

こういった需要ってこれから増えるでしょうね。増えてほしいもんです。

継続的に外に出る機会を作るには、教室への参加はうってつけ。

 

 

日本語非母語話者に外に出る機会を無理なく、押し付けでなく与える。

そこに関わる地域日本語教室の役割は大きいような気がします。

地域に在留する日本語が不自由な人の状況を把握する一助にもなります。

行政、もっともっと支援してくれてもいいんだぜ。

 

教室にはほかにも中国の方がきていましたのでお互いを繋ぎます。

さっそくお互いに自己紹介して連絡先を交換して。そりゃ嬉しいでしょ。

安心して地域で暮らすためには知人の存在は大きいです。はい。

 

教室、お母さん率が結構高いんです。

赤ちゃんが座布団の上で寝転んでいたり。

2,3歳の子がお母さんの横でお絵かきに没頭していたり。

教える担当にあたっていないボランティアさんが、

その子たちをあやしたり一緒に折り紙で何か作ったり。

 

自分の言葉が自由に使えない社会で子育てをするの、

きっとかなりのストレスでしょうね。

そんな人たちが「言葉が不自由でもいい」(そりゃそうだ教室だもの)とか

「赤ちゃん連れて行ってもいい」(誰かが何とかするでしょ)とか思いつつ

外に出られる場所としても、こういった教室は存在意義があるでしょう。

 

経済連携協定がどうしたとか査証の新設とかも必要かもしれません。

高度人材ポイントみたいな取り組みも優秀な人を集めるには要るのかもしれません。

その前に、普通のひとりの人が日本に来てどう生きていくのかとか、

何に関わっていくのかとかを精一杯の想像力を使って考えて、

気持ちよく生活できるように支援策を練ることも必要でしょう。

 

いやはや、考えるべきことはまだまだありますねぇ。