さざれごと

もしかしたら誰かが見るかも、という微かな緊張感をもって綴る日常の滓や澱

日本語教育100の質問(17)-1 日本語教師は給料が低いと聞きますが本当ですか。それはなぜですか。

「本当ですか」という質問ですが、誰よりも実感しているのは質問者であるうちの奥サマでしょう。早く楽な生活をさせたいものです。

僕の給料は「豊かではないけれど生活は何とか」ぐらいだと思います。贅沢は敵ですが、食えなくはない。できれば娘には国公立大学に行ってほしいな、というぐらい。

給料が安い。確かにそんな気がします。それを色んな人が考察しています。論文をまとめている方もいます。

「日本語教師は食べていけない」言説

「日本語教師は食べていけない」言説―『月刊日本語』の分析から―

↑そんな論文。とても面白かったです。

日本語教育は揺れ動く日本の方向性に翻弄され続けています。上海事件10万人計画30万人計画EPAリーマンショック事業仕分け留学就学の一本化、自然災害、経済状況、政治、流行…。

日本語学校の経営も、そんな外的要因に左右される部分が大きい。で、なぜ「影響をもろに受けちゃうのか」を考えなければならないと思うのです。

例えば。『サイドドアからの労働力受入れ(偽装留学とかいう言い方している方も)→経済格差がある国での「学生?」募集→対象国が経済成長→別の国へ募集対象を移動』

…みたいなことを繰り返していては、事業の持続可能性はどんどん低くなりますね。悪いことは長く続かないと信じたい(30年も続いてきたけど)。

で、悪い人が少しでも長く悪いことを続けるためには「絞れるところを絞る」必要があるわけで。その対象が先生たちのお給料です。

日本語の先生が供給過多だったのではないかという話もありますね。上記引用の論文にもありました。どんどん養成講座、どんどん420時間。養成講座についての質の担保は2017年になってようやく文化庁が始めたばかり。それまでどうなっていたんでしょ?

「いやいや、今は不足しているでしょ日本語のセンセ」と言う人もいます。何せ日本語学校が今や750校近くあるわけで、確かに数は必要かもしれない。でも、僕はここからの「日本語学校/日本語の先生の未来」についてはそう楽観的ではいられないと思っています。

あああ、長くなりそうな。初の第2章へ突入です。