さざれごと

もしかしたら誰かが見るかも、という微かな緊張感をもって綴る日常の滓や澱

日本語教育100の質問(21)クラスはレベル別になっていますか

長らく休憩していた本シリーズ、

奥様から叱咤激励のうち叱咤を強めにいただきました。一生懸命再開したいと思います。

 

さて、クラスのレベル。非常に大変な問題です。

ことばのレベルって何?とか考え始めると、もう身動き取れなくなってしまいます。凄く話せるけど読むのは苦手、とか。ペーパーテストはできるけど聞いたり話したりは今一つ、とか。特に生活者のみなさんは四技能のうち必要に駆られた部分が突出して上手だったりします。

日本語教育機関は最大20人まで1クラスに入れてもいいよということになっています。20人のことばのレベルが同じであるわけはないですね。クラスの設定や「今年の初級クラスはどこから勉強始めようか?」みたいなの、なかなか難しい問題です。

とりあえずプレースメントテストをしたりします。それから面談をしたりもします。それから、その学生が目指すゴールから逆算したりもします。「1年半後に最低でもN2を取っていなければ進学できないから、ちょっと最初のうちは大変だけどこっちのクラスにしようか」とか。「ゆっくり勉強したいの?ちょっとこっちのクラスじゃ簡単すぎると思うけど、2年いるからそうしようか」とか。

そういった諸々の調整があって、最終的に「同じレベルだと看做さなければ仕方がない学生たちが集まった」クラスが出来上がります。「同じレベルの学生達が集まったクラス」じゃなくて。便宜的に、同じ内容に取り組むクラスを作るわけです。

今僕が勤めている機関は先生多め・学生少なめなので、ある程度上記のような融通を利かせることができます。また、「早く上手になったから1年で進学する」みたいな事も認めています(認めない学校もあるそうですね)。

これ、経営的な側面を考えると難しくなってきますね。1年で出て行くより2年在籍したほうが学費が儲かるわけですし。レベルや上達状況に関係なく、2年在籍する20人のクラスがベルトコンベアのように連なっていくのがゼニのことを考えれば理想なわけです。

 

巨大な機関になるとクラスの設定も細分化できるでしょうね。スタートラインをたくさん引けるので、たとえクラスの人数は多すぎるとしても自身に相応しいクラスを見つけることができるのでは。

この辺りはスケールメリットがありそうです。

 

今後、東京福祉大学で起きた問題を受けて日本語教育機関から高等教育機関への進学も厳しくなりそう。どうなりますでしょうね。