さざれごと

もしかしたら誰かが見るかも、という微かな緊張感をもって綴る日常の滓や澱

日本語教育100の質問(24)授業中に学生たちが母国語を使うことがありますか

いろいろ意見が分かれそうな質問ですね。

 

国内の日本語教育機関ではおそらく直接法(このブログ内でも(12)でちょこっと触れました)で教えているところが多いんじゃないかな、と思います。

 

でもまあ、近くに同じ母語を話す友達がいたらちょこっと話したりしたくなりますよね。そりゃそうでしょう。

日本国内だけど同じ母語の学生ばかりが集まることもあるでしょう。そんなときにはむしろ、日本語を使わなければならない動機が「勉強のため」ってことだけになってしまいます。ううむ、何だかなぁ。

 

個人的には母語を使おうがスマホを使おうが、それで理解がしやすいならそれでいいと思っています。隣の友達に「これどういう意味?」と質問して、友達が母語で教えてくれて。正しく教えているのかどうかの確認はできませんが、日本語でのアウトプットを見れば正しく理解したかどうかは確認できるでしょうし。

 

日本語教育機関に来ている学習者たちはある程度オトナである場合が多いですから、それなりに学習ストラテジーがあるでしょう。で、そこまでを修正してなんとかしようとしていては、時間も労力も足りません。

母語を使うなぁぁぁあ!」と怒っているヒマはないし、もしかしたらわからなくて不安で友達に聴いているのかもしれないし。「わからないなら私(先生)に聞けぇぇぇ!」というセンセイもいるかもしれませんが、そのあなたの説明がわからないから友達に確認するわけですよ(いつになく辛口)。

授業中に母語で授業と関係ない話をしているかもしれませんね。いいじゃないですか。それで困るのは本人だし。勉強したい人の邪魔になっちゃダメですが。それに、人生には息抜きも必要です。息抜きしたい程度の授業しかできていないのかも、とセンセイが自己批判することも必要かもしれませんよ(辛口)。

 

そんなわけで、学習者が母語を使うことはあります。理由は様々でしょう。僕は、勉強する人が授業で拘束されている時間を有意義に使って日本語の理解が進んでいくなら、何をどう使おうがいいんじゃないかなと思います。