さざれごと

もしかしたら誰かが見るかも、という微かな緊張感をもって綴る日常の滓や澱

発信力

ずっと日本語教育だの日本語学校だの

身の回りのことでありながら「いや、

今後のニッポンのために、そして今後の

世界のために考えにゃ!」と思いつつ

するでもしないでもなく研究らしきことを

続けております。

 

でもなぁ、発信してないんです。

まとまったものがない、というのも理由ですが

そもそも発信しなきゃと思わないと、

まとまるものも、まとまらない。

 

これじゃいかん、と。

垂れ流していこう、と。

 

現状。日本語学校、やることイッパイ。

 

政策だの経営だの文化庁の企画(って、

企画扱いしては失礼ですか?)だの、

正直、手が回りませぬ。

 

考えることが多過ぎます。

やるべきことも多過ぎます。

ということは、それだけ大切な仕事だ、と。

 

頑張りましょう同志の皆さん(嘆息)。

久々ご無沙汰

誰も読んでいないであろう本ブログ、

自身のアウトプットの場所として再活用しようと思いつきまして。

 

査読に出した論文のようなもの、

たくさんのアドバイスと共に戻ってきました。

ありがたや。それだけ完成には程遠いというわけなのですが。

 

日本語教育機関についての研究は少ない、と言いたいわけですが、

「少ない」というためには「多い」「普通ぐらい」が必要ですね。

難儀な記述を入れてしまったもんです。

 

少しずつでも前に進んでいければ良いかしら、と

気楽に考えています。そのうち何か出来上がるでしょう。

日本語教育100の質問 番外編 気になる動きあれこれ 

再びずいぶん時が経ってしまいました。

 

この間に、

・私事 転職しました。といっても、まだ日本語の先生をしています。

・相変わらず大学院は出られそうにありません。目指せ9年在学。

 

日本語教育とか社会とか気になるところ

・「公認日本語教師」、20年度中に関連法が整備されそう

https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kokugo/nihongo/nihongo_99/92046501.html あたり

日本語学校(告示機関)、800校を超えてるの?(あれ、最終更新9月だった)

http://www.moj.go.jp/nyuukokukanri/kouhou/nyukan_nyukanho_ho28-2.html 

日本語教育推進関係者会議発足、直近までで第3回の会合。

https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kondankaito/nihongo_suishin_kankeisha/index.html 

・なんとか人を増やしたい特定技能、なりふり構わない策に出る

http://www.moj.go.jp/nyuukokukanri/kouhou/nyuukokukanri01_00135.html 

 

今日も友人から「だれか主任教員できる人を紹介してんか」と連絡がありました。さてさて、どうなりますことやら。

日本語教育100の質問(25)国によって日本語習得に特徴はありますか

ものすごく久しぶりの更新になってしまいました。

こういうのって、毎日のように更新したほうがいいんですよねきっと。サボっていました。あれこれ変化もありました。職場が変わることになったり復学したり何じゃかんじゃ。

さて、「国によって」とありますが、その人が話す母語によって日本語習得に特徴はあるだろうと思います。

漢字圏の人たちは読むことに関しては有利でしょうね。日本語能力試験では難易度が上がれば扱われる漢字の数も増えます。読解問題などはもしかすると、級が上がれば上がるほど読みやすくなったりするんじゃないでしょうか。

韓国語が母語である場合も、例えば語順がほぼ同じだったり過去・使役・受身などがあったりするので特に「取っ掛かり」段階では有利なんじゃないかな、と思います。日本に来るK-POPのアイドルたちとか上手ですよね。

韓国語は日本語の相対敬語に対して絶対敬語なんですよね。「先生、私のお父様は今はお出かけになっています」みたいなことになるのでしょうね。日本語よりわかりやすいかもしれません。

日本語は音(音素)が比較的少ない言葉らしいですが、それでも学習者の母語によっては難しい音があるようですね。

「はひふへほ」の「はへほ」と「ひ」と「ふ」の子音が別々に聞こえたり。調音点が違うので、別々に聞こえて当然とも言えます。「はへほ」は声門、「ひ」は硬口蓋、「ふ」は口唇の摩擦音でしたかね。

「よ」と「じょ」が同じに聞こえたり。

「つ」はいろんな国の人々にとって難しいみたい。

音声、復習しなきゃ。公認日本語教師の試験に出るかも出ないかも。現役、教育能力検定持ちではありますが、初めての試験とあらば受験してみたい。

話がそれました。音に関しては、日本人が英語の「L」と「R」が苦手だったり「tap」と「cup」の母音がどっちも「あ」になったりするのと同じですね。

言語の形式だけではなくて、「こういう場合の『社会的にオーケーな受け答え』『期待されているコトバ』」みたいなのも勉強しなければなりませんね。

たぶん「日本語は唯一無二の言語!」とか「日本語は最も難しい言語!」とかいうのは都市伝説だと思いますが、やっぱり新しい言葉を勉強するのは大変ですよね。

学習者のみんなは僕たちの言葉を、あれこれ苦労しながらも学ぼうとしてくれているのです。どんなところに原因があって難しく感じているのかをよく探りながら、お互いに学んでいきたいものです。

日本語教育100の質問(24)授業中に学生たちが母国語を使うことがありますか

いろいろ意見が分かれそうな質問ですね。

 

国内の日本語教育機関ではおそらく直接法(このブログ内でも(12)でちょこっと触れました)で教えているところが多いんじゃないかな、と思います。

 

でもまあ、近くに同じ母語を話す友達がいたらちょこっと話したりしたくなりますよね。そりゃそうでしょう。

日本国内だけど同じ母語の学生ばかりが集まることもあるでしょう。そんなときにはむしろ、日本語を使わなければならない動機が「勉強のため」ってことだけになってしまいます。ううむ、何だかなぁ。

 

個人的には母語を使おうがスマホを使おうが、それで理解がしやすいならそれでいいと思っています。隣の友達に「これどういう意味?」と質問して、友達が母語で教えてくれて。正しく教えているのかどうかの確認はできませんが、日本語でのアウトプットを見れば正しく理解したかどうかは確認できるでしょうし。

 

日本語教育機関に来ている学習者たちはある程度オトナである場合が多いですから、それなりに学習ストラテジーがあるでしょう。で、そこまでを修正してなんとかしようとしていては、時間も労力も足りません。

母語を使うなぁぁぁあ!」と怒っているヒマはないし、もしかしたらわからなくて不安で友達に聴いているのかもしれないし。「わからないなら私(先生)に聞けぇぇぇ!」というセンセイもいるかもしれませんが、そのあなたの説明がわからないから友達に確認するわけですよ(いつになく辛口)。

授業中に母語で授業と関係ない話をしているかもしれませんね。いいじゃないですか。それで困るのは本人だし。勉強したい人の邪魔になっちゃダメですが。それに、人生には息抜きも必要です。息抜きしたい程度の授業しかできていないのかも、とセンセイが自己批判することも必要かもしれませんよ(辛口)。

 

そんなわけで、学習者が母語を使うことはあります。理由は様々でしょう。僕は、勉強する人が授業で拘束されている時間を有意義に使って日本語の理解が進んでいくなら、何をどう使おうがいいんじゃないかなと思います。

日本語教育100の質問(23)見ただけでどこの国の学生かわかりますか

ところどころに不思議な質問が。いいですね。

長年日本語の先生をしている多くの方々に聞いてみたいのですが、以前はもっと「国・地域ごとの個性」みたいなものが留学生たちの見た目にも現れていたような気がしませんか?

質問に即して言えば、僕の場合は「はい、以前はまあまあわかりました」という答えになります。例えば日本中国韓国台湾の若者がいても、だいたい見分けがつきました。どこでどうやって見分けているのかはわかりませんが、概ね正解できたような。

いつからか見た目ではわからなくなってきました。ベトナムやネパールやインドネシア出身であっても、さっきの四箇所のどこかから来たのかな?と思える留学生がいたりします。先生方、そんなことないですか?

 

見分けがついていたのは何だったのでしょう。

女性のメイクは今でも少し違うように思います。眉の整え方などは、それそれ違うような。よくわかりませんが、なんとなく。

ファッションもおそらく識別の大きな材料になっているでしょうね。これも全然詳しくないですが、なんとなく。

そのあたりのデータが脳内で蓄積されて、次の事象を判断していたのでしょう。知らんけど。関西人特有の逃げをうっておきます。

海外から来たおばちゃんの団体が大阪で観光している場合は、今でも見分けがつきます。たぶん。つまり、若年層の見分けが僕には難しくなってきた、ということなのでしょう。

 

アジアのあちこちでのK-POP人気はすごいですね。そんな雰囲気の服やメイクやに身を包まれると、もうどこの人だかわかりません。化粧品なんかも同じようなものがいろいろな場所で使われているのでしょう。知らんけど。それによって、顔とかまで似てくるのかな。ううむ。わかりません。

 

ベトナムに出張しているとき「あなたは日本人だな」と知らない人に言われたことがあります。なぜわかったのかと聞くと「そんなに暑くないのに汗をかきながらうろうろしているからだ」とのこと。僕はたぶん日本人の中でも汗っかきのほうなのですが、そんな見分け方があるなんて。

確かにベトナムから来た留学生たちには寒がりが多いような気がします。僕は暑がりなので、夏の教室では「暑い」「先生寒い」「いややっぱり暑い」「いやいや寒い寒い」と、室温に関する攻防が起きたりします。

そんな中にも「いやワタシも暑いと思う」と言ってくれるベトナム人留学生がいたりして…やっぱりそれぞれ、みんな違ってみんな良いのではなかろうかと。

ああ、とりとめないですねぇ。

日本語教育100の質問(22)クラスの学生は同じ国の人たちですか。

面白い質問です。同様の質問がこのあとにもありますので、ざっくりと。

 

時代とともに、日本語を勉強する人々の背景も変わってきます。日本語教育機関が学生募集の為に赴く国や地域も変わってきます。そして、クラスの中の構成も変わってきます。クラスの中身は募集体制に大きく左右されます。

ですから、クラスの学習者がどんな構成になっているのかは、学校によって大きく異なるでしょう。

僕が日本語を教え始めた頃は中国や韓国の学習者が多かったですね。初めて勤務した学校も中国・韓国で積極的に営業活動をしていましたので、クラスは中国と韓国が半々、そこに時々違う国の学生が、みたいな感じでした。

 

僕は、できればいろいろな背景を持った、いろいろな言葉を話す学生が混在していてほしいと思います。同じ母語の学習者ばかりだと、どうしても母語に頼ってしまいますから。

海外の学校では同じ母語の人々がひとつのクラスで日本語を学んでいますね。当たり前ですかね。それにはその良さがあります。ややこしい文法を母語で説明してもらったり。

国内の学校でも同じなのでしょうが、ちょっともったいない気がします。例えば僕たちが海外に語学留学に行って、日本語母語話者ばかりのクラスになるとちょっと残念な気持ちになりませんか?

そんなわけで、「学校によっては同じ国の人たちだけのクラスもあるでしょう」と答えておきましょう。