さざれごと

もしかしたら誰かが見るかも、という微かな緊張感をもって綴る日常の滓や澱

果てしなく続くお勉強(1)どっちへ行くのだ日本の外国人施策、その2

さてさて。

前回は外国人施策だの日本語教育だのは

どっちにいくのだろうなという問題意識を

ぼや〜っと持っていますよ、という独白だったわけです。

 

どっちに行くのだろうなと考えるためにはおそらく、

どっちから来たのかをまず把握しておかなきゃダメでしょうね。

おお、珍しくマトモっぽい。

 

<寄り道>

未来を予知する占いは当たらないですよね。たぶん。

好きではあるんです。でもまあ、当たらないんじゃないかな、と。

 

当たるとすれば膨大なケースの蓄積による統計、ですかね。

占星術とか血液型とか、もしかするとカード使うものとかも

「こういう卦が出たらこうなることが多かった」とか

「こういう人相の人はこれまでだいたいこういう人だった」とか、

これまであったパターンに当てはめるのが精一杯なのではないかな。

 

<寄り道から本道へ>

そんなわけで、これからどういう方向に日本が行くのかも

「これまでこんな施策が出て、その結果こうなった。

 今はこういう取り組みがあるから、おそらくこうなるのでは」

っていうのは、一つの考え方になるのかなと思っています。

 

<そこで新たな疑問>

その場合、「これまで」の始まりを設定しなければなりません。

日本と外国との関わりについて、僕がどこから眺めようとするのかの

スタートラインを決めなければなりませんね。

 

まさか遣隋使とかから見ていくわけにもいきません。興味はありますが。

それでは、あと数年の猶予しかない休学・在学期間中に

何かをモノすることができなくなります。おお切なや挫折の予感。

 

そんなわけで、次回には何とかハンディな始点を定めてみたいと思います。