さざれごと

もしかしたら誰かが見るかも、という微かな緊張感をもって綴る日常の滓や澱

日本語教育100の質問(15)日本語教師が日本で働く場合と海外で働く場合と何が違うのですか

僕は海外でプロの日本語教師として働いたことがありません。なので、海外の状況は伝え聞いたことやら想像やらになってしまいます。どうぞご容赦ください。無責任に書き連ねるブログでございます。

 

まず、入口。

国内の日本語教育機関やら大学やらで働くためにはいろいろ条件がありますね。(1)で書いたような。大学だとやっぱり博士以上とか研究業績とか。

海外の機関で働くときも同様に条件があるところが多そうです。が、日本語母語話者が働きに行く場合、特に民間の日本語学校などの募集条件は国内より若干緩いような気がします。見てみても、本当にいろいろ。

その前に査証の問題がある国もあるみたいですね。日本語教育に関する条件の前に、「この国で働ける査証を持っていて…」と書いてある求人を見たことがあります。ワークパーミットが取得可能な、とか。

ア)働くことで滞在が認められる国 イ)滞在が認められた人だけが働ける、という。イ)のほうが大変そうな気がしますが、どうなんでしょう。

 

教えるのは日本人に限りませんね。その国の先生が日本語を教える場合もあるでしょうね。ありがたいことですね。

 

クラスのサイズについてはよく聞きます。大変そう。

僕はベトナムに出張することが多くて、高校やら大学やらの日本語教育の現場は何回も見学に行きました。すんごい人数の生徒学生を相手に教えている先生たち。大変です。体力勝負です。後ろの方には授業を聞いていないヤツらも。世界共通です。

中国で教えていた友人。「クラス人数は40人ちょいぐらいですけどコミュニカティブな感じで…」と赴任時にお願いされたそうで。凄そうですね。

 

海外で教えることには楽しさも大変さもあると思います。特に「日本代表」として見られることの楽しさと大変さ、あるんじゃないでしょうか。

「日本と触れ合う状況」が少ないわけですから、目の前にいる先生の日本語、先生の話はもう疑う余地がないわけで。正当な、権威あるもの。嘘や思い込みも、そのまま伝わっちゃう。日本から教えに出た場合、日本と日本語のことは「何でも知っているでしょ?」と思われちゃう怖さがあるでしょうね。

 

そんなわけで、海外で教えることには「国内では味わえない大変さ」と「国内では味わえない楽しさややりがい」があるのでは?と推察します。準備のための本屋さんもない。日本のものが簡単に手に入る店もない。研究会とか勉強の機会も少ない。そこをどう自分で補っていくか。日本語教師としてのサバイバル能力が養われそうです。

お給料さえ折り合えば、いつか行ってみたいです。

日本語教育100の質問(14)資格を取ればすぐ授業できますか

日本語教師の資格に教育実習が義務付けられるそうですね。

日本語教師の資格、教育実習も必須に 文化審議会が方針:朝日新聞デジタル

これまで義務じゃなかったのも面白い話です。

 

大学とか養成講座とかなら模擬授業のチャンスがあったりするんでしょうね。嬉し恥ずかし模擬授業。お互いに学習者役をする養成講座もありますね。講師のバイトで担当したことがあります。面白かったなぁ。

検定には完全に独学で合格する方もいるでしょう。今後はどこかで実習するわけですね。これまでは、試験一発で書類上は有資格者。授業担当を妨げるものはありませんでした。

…いやいや、やっぱり難しいんじゃない?そりゃ、できる人もいるでしょうけど。

 

昔は授業の準備に時間がかかりました。教案作って、教具やらプリントやらを段取りして、経過時間を予測して…で、全然そのとおりには進まない。予想外の質問に「ううむ…先生の宿題!」と汗だくになって。思い出しても冷や汗が出ます。「今日は良い授業ができた!」と思える授業は、なかなかすぐにはできませんでした。

今は授業のポイントをまとめたメモ程度になりましたし、アタマの中での授業の組み立ても早くなりました。パワポとか問題とかも随分作り置きができましたし、「ここを疑問に思うからこう説明」みたいなのも外さなくなりました。場数は身を助けます。

 

とはいえ、同じ学校の、同じレベルの、同じ教材の同じページでも、去年と今年の学習者では反応が違います。だから、同じ項目でも同じ授業はムリです。「予想外」への瞬発力も必要ですね。慣れは、やっぱり大切。

 

…みんな最初は初心者です。だから、新しい先生が失敗しても周りが拾える環境が良いんじゃないかな、と思います。長いこと教えている先生が、新しい先生のことも立てつつサラっとスマートに補う。

後進の育成も、大切なお仕事です。あくまでスマートに。押し付けでなく。

新しい先生が学習者に「嘘を教えちゃった」場合が、さらっと補う際にいちばんタイヘンですね。

わからないことは「調べてくるねっ(ハート)」と持って帰る。そして調べて、堂々と教える。学習者の信頼も自身の知識も得られます。

 

ああ、新しいことをどんどん取り入れたがるのって、実は大切だと思うんです。化石化コワい。だから、積極的にいろいろなところに出ていって老いも若きも関係なく教わって、学んで。社会人になってから大学院に行くと同期がナウなヤングだったりするので、非常に楽しかったです。

 

ずいぶん前に先生になりましたが、常に謙虚でありたいと思います。

日本語教育100の質問(13)授業は日本語の授業のみですか

この質問にはなかなか深く難しい意味に捉えられる部分と、表面的にカンタンな質問だと答えられる部分がありそうです。

1)深く難しい部分

「日本語の構造やら音声やらだけを教えればいいですか」という質問?という、ひねくれた解釈をしてみます。これは…違いますね。コンテンツがないと話せないし、「言葉のカタチ」と「言葉が運ぶ意味」は一対一でもありません。

どんな場面で、どんな言葉が「適当」で、どんな意味を運ぶのか。どんなことについて、誰に話し、聞くのか。発信にも受信にも、ある言葉を使うには「言葉のカタチ」以外の知識も必要になります。

<反省>

「こんなんいつ使うん?」という内容、時々ありますよね。

・たとえば「あなた」という言葉、僕はほぼ使いません。皆さんはどうでしょう。

・「~なら」「~ば」「~と」をあまり使わないのは僕が関西人だからでしょうか?初級段階は「~たら」「~なら」だけでいいよ、という、一橋大学の庵先生のお話もあったりしますね。僕は殆どの「~なら」を「~んだったら」にしちゃいます。(「~んやったら」ですね正確には。関西弁)。

・推量の「~でしょう」も、少なくとも「学生」という立場では使わないですよね。権威ある者、「私は正確無比」という立場、じゃないと使えない。

<反省終わり>

 

…というわけで、カタチだけじゃなくて言葉というツールを相応しく用いるための諸々の知識をも教えるのが日本語教育ですよ、答えておきます。

 

2)もう少し、表面的な

「そんな小難しいことじゃなくて、ほら英語とか数学とか…」という意味での質問かもしれませんね。

多くの法務省告示機関(フツーの日本語学校の意)では、まず日本語を教えます。日本語の授業だけで年間760単位時間以上勉強しなければなりません。

他の授業をすることを禁じているわけではありませんから、いろいろ教える学校もあるかもしれません。

 

ちょっと特別な存在として「準備教育課程」があります。ここでも日本語は760単位時間以上勉強します。それから

・40単位時間以上の日本事情の勉強

・120時間以上の基礎教科(数学、理科または地理歴史公民、英語)

なども勉強します。

日本語教育機関とは違う部分があれこれ。で、ここで勉強すると、簡単に言えば「母国での勉強の年数が足りない人でも日本の大学入学資格が貰えるよ」という点が特別です。

けっこうたくさんある準備教育課程、賑わっているのかな~。こういうところで教える先生たちは当然、日本語以外も教えることになりますね。

 

日本語教育100の質問(12)授業は何語で行いますか

日本語の先生あるあるの一つに、「えー、日本語の先生なんですか!じゃあ、英語ペラペラなんですね~!」という世間からの勘違いがあるんじゃないかと思います。

 

…全然ペラペラじゃありません。

 

クラスにいろいろな言葉を話す学習者がいます。「えー、すごいですね何か国語も話せるんですね~!」

 

…そんな凄い能力を持っていたら別の場所で活躍していたことでしょう。

 

僕はいくつかの日本語教育機関(と、大学の留学生別科と)で働いてきましたが、そのすべてが「日本語で」「日本語を」教えていました。

 

日本語だけで日本語を教える教え方を「直接法」と言います。学生の母語など(媒介語、といいます。勉強したい言葉以外のことば)を用いて教えるのは「間接法」です。

 

直接法で教えるのは絵をかいたり動きまくったり、特に初級の最初の段階は大変です。いつまでこのような動きまくる授業ができるだろうと自分の年齢を考えてため息をついたりします。

 

直接法と間接法、どちらにも一長一短ありますね。

・クラスにいろいろな言葉を話す学習者がいる場合、直接法で教えることが多いでしょうね。

・クラス全員の使用言語が同じでも、先生がその言葉を使えない場合直接法で教えるしかないですね。僕も今全員ベトナム人のクラスをひとつ担当していますが、ベトナム語は全然できません(ちゃんと勉強したい)。

・勉強を始めたばかりの学習者には間接法のほうが「居心地が良い」んじゃないかなと推察しますがどうでしょう。

・先生は直接法で教え、例えば文法の解説などを母語で確認する方法もいいかもしれません。そんなわけで『みんなの日本語』の多様な言語による翻訳・文法解説は便利でしょうね。

・学習者の脳の中ではどんなことが起きているのでしょうね?間接法はいったん母語に意識が引き戻されるんじゃないか(脳の中の別のモジュールに意識が「ぶれる」んじゃないか)と思うんですが、どうなんでしょ?

 

「絶対直接法じゃなきゃダメ!」とか言う人もいます。

僕は、この意見には反対です。

学習者が学びやすいなら、効果が上がるなら、日本語が上手になるならどんな方法だっていいじゃないか!絶対に媒介語を使わないなんて自己満足にしかならん!目的のためには手段をどうこう言わなくてもいいじゃないか!…と。

 

みなさんはどうお考えでしょう?

 

 

日本語教育100の質問(11)日本語教師はどこで働いていますか

これも面白い質問です。

 

このブログに何度も出てくる文化庁の「国内の日本語教育の概要」はその対象として大学、短大、高専地方公共団体教育委員会、国際交流協会法務省告示機関、その他(NPO、学校・準学校法人、会社、社団・財団法人、その他法人、任意団体)を挙げています。

 

ちょっとわかりにくいので整理します。

・高等教育機関にも日本語教師はいます。

都道府県とか市町村とか、その他「公」の教室にいることもあります。

日本語学校(告示機関も、そうじゃないのも)には、もちろんいますね。

あらゆるところに日本語教師。そしてこの状況は今後もっと広がるんじゃないかと思いますし、広がらなきゃダメでしょとも思っています。

 

日本だけじゃないですね。

いつもお世話になっている日本村さんにも世界のいろいろな場所での求人が掲載されています。家賃がかからなくてそれなりのお給料がもらえる求人を見て「これ国内で働くより良くない?」と思うこともあります。中には「資格問わず」というものもあってご愛嬌。

 

最近は時間に縛られないオンライン日本語教室などもあります。自分で給料を決められるものとか、緊張しますね。

フリーの先生も多いでしょう。ホワイトボードマーカー一本で勝負するフリーランス。最近はiPadApple pencilとかなのでしょうか。カッコいいです。フリーとはいえ授業の準備には時間も資料もたくさん必要でしょうから、なかなか大変な環境になる気もします。

 

これからはより多くの場所で日本語教師のスキルが必要になるでしょう。2018年12月に入管法の改正が決まり、査証「特定技能」が新設されることになりました。14の業種で海外から働き手を集めることになったようですね。

で、その査証を得るためには技能実習を終えるかテストを受けるか、ということになりました。テストにはもちろん日本語のテストもあるようで、今おそらく一生懸命どなたかが作っているのだと思います。

テストを受ける前に日本語を教えるのも日本語の先生でしょう。

 

まとめましょう。

・今もいろいろなところで日本語教師は働いています。

・これからますます必要とされる場は増えるでしょう。

(・だから、もっと大切にしてね。ということで、日本語教育の推進に関する法律は早いこと成立させて、先生たちの処遇を改善してね)

…ということになり…ますよね。うん。うんうん。

 

日本語教育100の質問(10)日本語教師にはどのような人が向いていますか

文化審議会国語分科会の日本語教育人材の養成・研修の在り方について(報告)に資質・能力の項目がありますね。

日本語教育人材とは?

同資料では「日本語を教える/日本語学習を支援する」活動を行う者と定義されています(p.15)。関わる人ぜーんぶ、という意味ですね。

<余談>「人材」って言葉は個が軽視されているようで、あまり好きじゃないんですよね。流行りの「外国人材」という言葉とかも、何かイヤだ。<余談終わり>

日本語教育人材に共通(p.18)。要約します
(1)日本語が正確に理解・運用できる。

(2)学習者の多様性を理解し尊重できる。

(3)コミュニケーションでコミュニケーションを学ぶという日本語教育の特性を理解している(学び合い、教え合うという意味ですね)。

 


専門家としての日本語教師の資質・能力も同ページに(p.18)。これも要約。

(1)学習者に対する実践的なコミュニケーション能力を有している

(2)多様な言語や文化に対して、深い関心と鋭い感覚を有している

(3)国際的な教育者としてのグローバルな視野、教養、人間性を備えている

(4)専門性と社会的意義について自覚と情熱を持って常に学び続けられる

(5)教育を通した人間の成長と発達に対する深い理解と関心を有している

…すごい。立派。努力目標。

同資料はこの後も役割や段階ごとの資質や能力につき微に入り細を穿って解説しています。

---

そう細かくはできないので、僕もざっくり考えました。
(1)アンテナや想像力が鋭い
…誰かが「わからない」と言う時、何に起因して「わからない」のか。読めない時、「マジメに勉強していない」のではなく、例えばディスレクシア等かも。知識や学習者へのアンテナと想像力、大切です。
(2)素直
…相手が正しいと思ったら素直に自説を曲げる柔軟さ、新しいことを素直に学ぼうとする謙虚さ。僕は最近ひねくれてきました。
(3)オープンマインド
…受け入れ、臆することなく外に出す。外に出すための自己研鑽は怠らない。「授業?いつでも見に来てください!」と、いつでも誰にでも言えるような。
(4)肯定的
…「ん、私と違う」という場合も、価値観や方法論をを押し付けずにいたいものです。と言いながら、ここで自分の価値観を披露する矛盾はご容赦ください。
(5)面白がる
…いろんなことが起きるし仕事は大変だし、すべてに正面から向き合って真面目に対処していたら持ちません。苦しいことや腹が立つことも後に「ネタ」にできるような貪欲さ。僕も欲しい。

(6)元気

…元気があれば何でもできる。どちらかと言えば、精神的に。

 

自分自身に言い聞かせつつ精進したいと思います。

 

 

日本語教育100の質問(9)日本語教師になってから受ける試験はありますか

難問がやってきました。

 

日本語教師という仕事に直結している「日本語教師になってから受ける試験」というのは、今はありません。ないはずです。

知識を確認する試験はあるみたいです。一般社団法人全国日本語教師養成協議会という団体がありまして。略して「全養協」、名前の通り養成講座と先生の質的向上を目指す団体だそうです。その全養協が試験を実施しています。全養協日本語教師検定。少しサンプル問題がありましたが、なかなか面白そうです。

あまり受検したことがある方にお会いしたことがないですが、力試しにはなりそうな。成績(判定?)を優遇する求人もちらりと見たことがあります。

 

語学系の試験なども良いのではないでしょうか。わざわざリンクするまでもないような、有名な各種語学系試験。学生の母語についての知識があれば、そりゃもう役に立ちます。母語の干渉云々とか。悩み相談とか。

 

「私、ACTFL-OPI(全米外国語教育協会会話試験)の試験官です」なんて先生もいます。ワークショップに行くんですね。みっちり学ぶ大変そうなワークショップです。

 

ほかにもキャリアアップということで言えば、もしまだだったら大学院に行くのもよいのではないでしょうか。

 

いろいろ書きましたが、なかなか日本語の先生が「私、さらにすごい日本語の先生になったんです」と証明するのは大変そうです。

 

今後はキャリアアップのためのセミナーや研修も増えていきそうな気がします。これも(8)で触れた文化庁教育能力の判定に関する云々の中で触れられていました。曰く、

「(日本語学校の)日本語教員は、その教員要件を満たして採用されれば、その後、その日本語教員の資質・能力が確認される機会はない。(中略)定期的な研修受講等による日本語教員の資質・能力の向上を図る仕組みについても検討する必要があるのではないか」

 

…確かに。

ただ、できれば「資質・能力が向上したのならそれに伴って処遇も向上する仕組みにしてよね」と思います。ぢっと手を見なくても「働けば楽になる生活」であってほしい。